中井竹山自筆。二代目学主兼預り人であった中井甃庵の死後、懐徳堂は、その遺言に従って三宅石庵の子春楼(1712−82)を三代目学主とし、甃庵の長男中井竹山(1730−1804)を預り人とした。宝暦八年(1758)八月、この体制の出発に際し、享保九年(1724)の懐徳堂設立から享保十一年の官許獲得にいたる経緯を、竹山が詳細に記録したもの。末尾に内容に相違なき旨の春楼ら四名の連署がある。『懐徳』第十二号(昭和九年刊)付録の「懐徳堂旧記」に活字翻刻されている。