懐徳堂は、享保十一年(1726)に中井甃庵(1693−1758)らの尽力により官許を得た。これは、同年十月五日、懐徳堂が官許学問所としての出発を飾ったその開講式に、学主の三宅石庵が行った記念講義の記録である。末尾には、この日の聴衆者七十八名の名が列挙されており、五井蘭洲、富永芳春らの名が見える。筆者は未詳。明治四十四年(1911)懐徳堂記念会より刊行された『懐徳堂五種』の中に活字翻刻されている。