石庵が含翠堂の同志の一人で、当時江戸にあったと思われる土橋道節へ宛てた五月十九日付の書状。道節については詳細不明。「去年当地大火、手前達も逢類焼候」と記されているところから、俗に「妙知焼」と呼ばれる享保九年三月の大坂の大火の翌年に当たる享保十年(1725)に出されたものであることがわかる。『万年先生遺墨帖』に所収。万年は石庵の号。
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