中井竹山筆。寛政八年(1796)秋に書かれた。懐徳堂書院の建学から始め、享保十一年(1726)官許を得て学問所と称したこと、寛政四年(1792)の焼失ののち、寛政八年に再建したことまでが記されている。再建された懐徳堂講堂南側東寄りの梁上に掛けられていたという。
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