中井木菟麻呂<なかい つぐまろ>作成。昭和六年(1931)八月に木菟麻呂が幼時の記憶を辿り作成したもの。明治二年(1869)の廃校時に木菟麻呂は十五歳であった。『懐徳』九号(昭和六年)の中井終子<なかい しゅうこ>「安政以後の大阪学校」に所載。寛政再建時の絵図と比べると、基本的な構造はかわっていないが、この頃(幕末期)までには細部にはかなりの改変が加えられていたようだ。「旧懐徳堂」とあるのは、大正期に建てられた重建懐徳堂に対しての呼称。
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