中井竹山ほか手写。竹山は、大阪在番の大名や旗本などと積極的に交流を持ち、明和五年(1768)には、大阪城在番で赴任してきた幕府大番頭の堀田出羽守正邦のために、大阪城内で講書を行うようになった。明和八年(1771)四月、二条城に移った正邦の紹介で、竹山は『大日本史』の借覧の機会を得る。これは、竹山が、門人知友を一堂に集め、明和八年(1771)十一月中旬から翌安永元年二月下旬までかかって写し上げたもの。二百四十三巻六十冊。抄者は、三宅春楼・中井竹山・中井履軒を始めとする三十七人、校正者は春楼・竹山・履軒・加藤竹里の四人。