明和二年(1765)九月、片山北海<かたやま ほっかい>(1722−90)を盟主として、大坂に詩文を中心とする結社「混沌社」が結成された。中井竹山は、この混沌社を通じて頼春水<らい しゅんすい>(1746−1816)と親交を結び、のちに春水と大坂の医師飯岡義斎の息女静子の媒酌人をつとめた。「梅シ(*)」は静子の号。この手紙は、従妹にあたる中井碩果<なかい せきか>の妻てい(篠田氏)に宛てたもの。『先哲手簡』五巻の第五巻に所収。 (シ(*)は、「颱」の「台」の部分が「思」になった文字)
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