寛政三年(1791)、町儒者から抜擢されて江戸の昌平黌の儒官となった尾藤二洲<びとう じしゅう>(1747−1814)は、早くから中井竹山・履軒らと親交を結んでいた。二洲は竹山に宛てた本書簡の中で、「華胥国王如何被成御過候哉、・・・今年は小子輩別而多忙に過し候に付、才の入用之節、毎々国王を日本人になしたき事と存出候事に御座候。唯一国の王程あって日本小国之網にはかからぬにこまり申事に御座候」とのべている。『先哲手簡』五巻の第一巻に所収。
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