並河寒泉筆。明治二年(1869)九月の懐徳堂廃校に伴い、同年十二月堂舎を去るにあたって、最後の教授並河寒泉<なみかわ かんせん>(1797−1879)は、この歌を書いて門扉に貼り付けたという。「百余り四十路四とせのふみの宿けふを限りと見かへりて出づ 華翁」。これは、のちに中井天生が寒泉に同じ歌を書いてもらい軸装したもの。
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