大阪大学図書館報 第58巻第1号(通巻201号), 2025.3

研究開発室教員紹介
「熱帯から図書館へ:オープンサイエンス時代におけるエスノグラフィの可能性」

大阪大学 附属図書館

研究開発室 神崎隼人

1.熱帯から図書館へ

  「私は旅が嫌いだ」–––––これはフランスの文化人類学者クロード・レヴィ゠ストロースの著書『悲しき熱帯』1)の有名な冒頭です。この本は、そう言う彼が祖国フランスを離れブラジルのアマゾンへ赴き、様々な先住民の人々の社会を調査した記録です。文化人類学者による、このような現地のフィールドワークに基づく調査記録をエスノグラフィと呼びます。私も、南米ペルーのアマゾンをフィールドに先住民の人々と開発の問題を調査し、エスノグラフィを作成しました。もちろん、この本はスーツケースに入っていました。
  私は2023年11月に附属図書館研究開発室に着任しました。熱帯から図書館へ、活動の場が180度転じたように見えます。しかし、エスノグラフィのフィールドワークと図書館は一見遠く隔たっているようでいて、とても密接に繋がっています。実はレヴィ゠ストロースはブラジル滞在後にニューヨークに拠点を移し、世界中の社会の親族組織や南北アメリカの神話を研究したのですが、その時彼に欠かせなかったもの、それが公共図書館でした。なぜなら図書館には、エスノグラフィの膨大な研究データが保管されているからです。私は、図書館という新たな「フィールド」に足を踏み入れたと思っています。

2.エスノグラフィ分野の研究データの「文化」

  研究開発室での私の主な業務が研究データ管理に関する人材育成環境構築やオープンサイエンス推進です。研究データの活用とオープンサイエンスは全国レベルで進められており、「AI等の活用を推進する研究データエコシステム構築事業」*の下で本学は人材育成チームの役割を担っています。研究開発室ではこれまで、実験系や人文学と情報学の融合領域とは連携していましたが、社会科学は手薄でした。これは全国的にも同じ傾向です。そこで私は、質的な社会科学分野、特にエスノグラフィの分野に注目して、人間科学研究科と連携してきました。
  オープンサイエンスでは、分野ごとの研究データの「文化」や「慣行」––––文化人類学者にとって、この表現は興味深いのですが––––に適したオープン・アンド・クローズ戦略を練って、できる範囲でオープン化に取組むべきである、と考えられています。
  このオープン/クローズがエスノグラフィでは問題になります。研究データは綿密なフィールドワークから生まれるために、フィールドノートや写真・映像、インタビュー録音には、大量かつ詳細な個人情報や、現地の価値観や利益からそのままの公開が許されない知識が含まれます。そのような繊細な情報こそが重要な研究データです。したがってオープンサイエンスには倫理的な葛藤が含まれます。 そして研究データ管理に関する教育については、調査分析の手法に関する教材は数多く出版されてきた一方で、研究データ管理そのものの技術面はほぼ定式化されていませんでした。研究者はそれぞれ研究データ管理手法を会得しているという現状です。研究データ管理は、「やっているけど、あえて説明はしない」もの、まさに文化や慣行だったのです。

3.エスノグラフィの研究データ管理教育とオープンサイエンスの模索

  そこで私なりの課題は、①エスノグラフィの研究データ管理をなるべく定式化して教材を作成すること、②エスノグラフィの分野における研究データのオープン・アンド・クローズ戦略を検討しオープンサイエンスを推進すること、となりました。
  まず、人間科学研究科と連携して、「オープンサイエンス時代におけるエスノグラフィの研究データ管理」という教材**を作成してきました。この教材はスライドに機械音声によるナレーションが付いている動画形式です。修士や博士の院生が自身のプロジェクトの研究データ管理を学習できます。この教材は、調査準備、調査中、調査後、つまり「エスノグラフィの研究ライフサイクル」に沿って研究データの管理を学べます。講義は全部で5つからなります。 調査準備段階から、研究データ管理が始まります。海外フィールドワークにはビザ取得が伴いますが、その際、研究データ管理計画の提出が求められることもあります。また特に博士の院生の受講者は日本学術振興会の特別研究員(DC1・DC2)となれば、「データマネジメントプラン(DMP)」を策定しなくてはなりません。
  そして調査中には、もちろん大量かつ多様な研究データが日々生み出されます。現場で記録される速記メモと、それをもとにデジタルで書き起こした清書ノートは膨大な量のテキストデータです。写真や映像も増え続けますし、インタビューでは録音データとトランスクリプトが別々のファイルで生じます。これらに対して、一貫した命名規則やメタデータを付与して管理しなければなりません。調査後には、生の研究データに対する分析のメモやダイアグラムといったテキストや画像のデータ、膨大な文献データが次々と生じていき、互いを関連させながら管理することになります。 講義の最後はオープンサイエンスに向けた新たなエスノグラフィのあり方を、ユースケース事例から学びます。上記のデータエコシステム事業では、様々な分野の研究者が実際に研究データ基盤を活用するユースケースを創出しようとしてきました。教材作成と連動させて、人間科学研究科との連携はここでも取組んできました。そのユースケースが「オープン・エスノグラフィ:GakuNin RDMと連携したデータ管理ソフトウェアによる質的研究のコラボレーションとオープンデータ化の研究」***です(2024−2025年度)。
  エスノグラフィは近年新たな期待が寄せられており、気候変動などの新たな事態を前に、多様なステークホルダーとの協働が求められるようになっています。研究データのオープン化は喫緊の課題です。そこでこのユースケースでは、人間科学研究科で開発中のエスノグラフィに特化した研究データ共有ソフト「Open Ethnography」を既存の研究データ基盤と連携させ、オープン化に即した研究ライフサイクルを開発し、NII RDCにフィードバックすることを狙っています。
  従来のエスノグラフィの研究データがクローズである理由は、調査協力者のプライバシーでした。そこでここでは、研究データを参加型のワークショップを通じて生み出すようデザインしました。倫理的問題は回避できます。そこで、京都市内で、地域産木材を用いて古民家を断熱改修し、パブリックスペースを作る取組みを実施してきました。そうして色々な参加者と共に生み出されたデータを、Open Ethnographyで共有します。 さらに従来エスノグラフィとは長年の成果物(本)を指しました。それに対してここでは、研究データを短いスパンでOUKA上に掲載しています。そうすることで、誰もが、このプロジェクトでの研究データを見て、活用できます。データは『都市エコロジー観測所にゅうすれたあ』2) として利用できます 。

4.冷たい図書館と熱い図書館

 私たちエスノグラフィ研究者にとって、図書館とは第一に研究成果のエスノグラフィ(本や論文)を整然と保管する施設でした。ひんやりとした書架から、研究に必要なときに本を取り、静かに読みこみ、また返す。もちろん、この役割は極めて重要です。
 ただ私が連携を通じて目指したいのは、いわば「熱い図書館」です。図書館が媒介となって、エスノグラフィの研究者や異分野の研究者、さらに一般の参加者の間で、研究データや人やアイデアが活発に交流・循環するような、エネルギッシュな姿です。今後も、研究データ管理やオープンサイエンスとエスノグラフィに着目していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

参考

  1. レヴィ=ストロース,C. 2001(1955)『悲しき熱帯 I・II』 川田順造訳, 中央公論新社. [大阪大学附属図書館OPACへ]
  2. 都市エコロジー観測所(発行). "都市エコロジー観測所にゅうすれたあ1-2". 大阪大学学術情報庫OUKA. (参照 2025-03-25).

注釈

*「AI等の活用を推進する研究データエコシステム構築事業」(https://www.nii.ac.jp/creded/nii_ac_jp_creded.html)
 デジタル技術とデータ活用による研究活動の変革(研究DX)を全国的に促進するため、「ユースケースの形成、普及」「データ共有・利活用の促進」「研究デジタルインフラ等の効果的活用」を一体的に進めることを目的とした文部科学省の事業。

**「オープンサイエンス時代の研究データ管理」教材
 2025年度に本学学内CLE上で公開予定。その後、学外からも利用可能なように公開を予定している。本学ではすでにオープンサイエンスに関する教材(「オープンサイエンス時代における研究データマネジメントの基礎について学ぶ」)をOUKA上に公開している。

***「オープン・エスノグラフィ:GakuNin RDMと連携したデータ管理ソフトウェアによる質的研究のコラボレーションとオープンデータ化の研究」(https://www.nii.ac.jp/creded/creded_result.html)
 「AI等の活用を推進する研究データエコシステム構築事業」において、異なる分野間でのデータ連携を目指したAI・データ駆動型研究のユースケース創出課題(2024−2025年度採択)。

著者紹介

著者紹介

2023年3月大阪大学大学院人間科学研究科単位修得退学。2025年3月博士(人間科学)取得。2023年11月から現職。2018年3月に筑波大学人文社会科学研究科国際地域研究専攻博士前期課程を修了後、ペルー・カトリカ大学客員研究員・国立民族学博物館共同研究員・大阪大学大学院人間科学研究科特任研究員等を務める。主な研究分野は文化人類学・民俗学(ラテンアメリカ・ペルー)であり、現職の研究開発室ではこれまでの研究分野の知識を生かし、特に社会科学分野系の研究データ管理に関する人材育成環境構築やオープンサイエンス推進に関する研究を行っている。日本文化人類学会、日本ラテンアメリカ学会、現代文化人類学会各会員。

(編集:北川)